+αな暮らし

メーカーでインハウスのファシリティマネジャーとして建築・不動産に関する仕事をしています。このブログでは建築・不動産・施設管理系の資格挑戦についてと、革製品を始めとした愛すべきプロダクトについて書いています。

Marc Chagall マルク・シャガールの絵画

今回はマルク・シャガールについて書いていく。唐突に何をって感じだが、妻の親父さんから「シャガールの絵をいらないか?」と聞かれ、少し調べてみたのがキッカケだ。

 

まずはシャガールという人物についてWikipedia先生に教えて貰った。

1887年7月7日

マルク・シャガールは帝政ロシア領ヴィテブスク(現ベラルーシ)にて、父ザハール、母フェイガ・イタの元に9人兄弟の長男として生まれた。ロシア名マルク・ザハロヴィチ・シャガル、後にパリでマルクと名乗るようになる。

故郷ヴィテブスクは人口の半分以上をユダヤ人が占めている町で、シャガール自身も東欧系ユダヤ人である。生涯、妻ベラ・ローゼンフェルトを一途に敬愛していたこと、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作していることから別名「愛の画家」と呼ばれる。

f:id:k-est:20190821083854j:image

 

1900年

4年制の公立学校に入学。なお、この頃の同級生は彫刻家、画家のオシップ・ザッキンで、共に芸術家を目指した。

1907年

当時の首都サンクトペテルブルクのニコライ・リョーリフが学長を務める美術学校に入るが、同校のアカデミックな教育に満足しなかったシャガールはやがて1909年にレオン・バクストのズヴァンツェヴァ美術学校で学ぶことになる。バクストは当時のロシア・バレエ団の衣装デザインなどを担当していた人物である。

1910年

パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へと戻る。この最初のパリ時代の作品にはキュビスムの影響が見られる。

1915年

母が病死。同年ベラと結婚。10月革命(1917年)後のロシアでしばらく生活する。

1922年

故郷に見切りをつけ、ベルリンを経由して1923年にはふたたびパリへ戻る。ロシア時代のシャガールはロシア・アヴァンギャルドに参加して構成主義の影響の濃い作品、デザイン的作品を制作したが、出国後の作品は「愛」の方への傾斜が認められる。

1941年

第二次世界大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命。同郷人で最初の妻ベラ・ローゼンフェルトは1944年にアメリカで病死した。

1947年

パリへ戻ったシャガールは、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得。

1951年

彫刻制作を始める。

1952年

当時60歳代のシャガールはユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚。

1960年

エラスムス賞受賞。同年、当時のフランス共和国文化大臣でシャガールとも親交のあったアンドレ・マルローはオペラ座の天井画をシャガールに依頼。これは1964年に完成している。

1966年

17点の連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈。マルローはこの連作を含むシャガールの作品を展示するための国立美術館の建設を推進し、ニース市が土地を提供する形で、1973年、86歳の誕生日にニース市に「マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」(現国立マルク・シャガール美術館)が開館した。

1985年

1966年から20年近く暮らした、ニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスの墓地に眠る。

シャガールは毒舌家としても知られ、同時代の画家や芸術運動にはシニカルな態度を示していた。特にピカソに対しては極めて辛辣な評価を下している。シュルレアリスムに共感を持てず、自分のことを「シュルレアリストと呼ばないで欲しい」と語っている。アポリネールは彼の作風を「シュルナチュラリスム(超自然主義)」と呼んだ。

ここで出てくる「シュルレアリスム」とは超現実主義のことで、日常的な風景と非現実的なものを一枚の絵に表現するなどの、驚異、不条理が特徴となる。

 

一方、アポリネールが呼んだ「シュルナチュラリスム(超自然主義)」は人間の理性による認識をこえた精神的存在を想定し、奇跡・呪術などの神秘的事象、悟りや直覚という特別な認識能力、神の啓示などの事をいうようだ。

 

シャガール本人はシュルレアリストと呼ばれることを嫌っていたようだが、そんなシャガール先生の作品を実際に見てみよう。

 

今回、妻の親父さんから「いらんか?」と言われた作品がこちら。👇

f:id:k-est:20190821184439j:image

f:id:k-est:20190821184447j:image

《エルサレム・ウインドウ/ベンジャミン族》

 

f:id:k-est:20190821184452j:image

f:id:k-est:20190821184443j:image

《エルサレム・ウインドウ/ネプタリ族》

 

この「エルサレム・ウインドウ(エルサレムのためのステンドグラス)」というシリーズは、イスラエルの首都エルサレムにある教会のステンドグラスをシャガールが制作し、そのステンドグラスに描かれた絵をリトグラフにしたものになる。

 

どうだろうか? シュルレアリストと呼ばれることを嫌っていたシャガールだが、何とも超現実主義というか、幻想的な絵ではないだろうか。

 

そして、親父さんから「いらないか?」と言われた私と妻の回答は…

 

「いらないです」

 

個人的には少し欲しい気もしたが、サイズが意外と大きいので、我が家には飾る場所がないためお断りした。

 

結果、どうなったかと言うと、親父さんからヤフオクで処分を依頼された。なので後日ヤフオクにアップ予定だ。

 

エルサレム・ウインドウのステンドグラスは12種類あるので、ご興味のある方は集められてみては如何でしょうか? 落札をお待ちしております(笑)

 

それにしても、「愛の画家」って、なんかカッコいい響きだな。

 

【プロフィール紹介&当ブログについて】