+αな暮らし

自分の仕事に関係する建築・不動産・施設管理系の資格挑戦記。その他、革靴を中心とした自分の生活に+αな彩りを添えてくれるお気に入りアイテムについて綴っています。

管理人のプロフィール

自身のプロフィールを簡単にまとめたページです。

 

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基本情報

◆名前:EST
◆職業:製造業の会社でインハウスのFM業務全般(自社施設の管理全般、建築・土木・設備工事手配や、不動産の賃貸借・売却)に携わっています。
◆好きな言葉:待て、しかして希望せよ(原文:Attendre et espérer)/モンテ・クリスト伯(第七巻117章)/アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳/岩波文庫 より
◆補足:カフェで一服、そして家で靴磨き。 妻と二人、細々と生きています。

  

 

出身地、住んだところ

神奈川県横浜市に生を受けました。 浜っこです。と言ってもほんと生まれただけですが。その後、鎌倉の大船で幼少期を過ごし、小学生時代は愛知県の名古屋で過ごしました。「みゃ〜 みゃ〜」言う名古屋弁が標準語だと思っていたのはこの頃です。

そして、小学校卒業間近に神奈川に戻ります。 茅ヶ崎です。 憧れの湘南ライフです。

茅ヶ崎は短かったです。 一年いませんでした。 このように引越しが多かった理由は父親が転勤族だったから。

そして、父親が憧れのマイホームを千葉県の佐倉市に購入して初の千葉県住まいとなり、転勤ともおさらばになりました。 佐倉には中学、高校、専門を卒業し、社会人になってからもしばらく住んでいましたので、大事な思春期時代をピーナッツ畑と共に過ごしたと言えます。

その後、いい歳した大人がいつまでも実家暮らしじゃいかんと思い、江戸川区の葛西にて初の一人暮らしを始めます。 葛西には5年くらい住んだかな。 妻と出会ったのもこの頃です。葛西を選んだ理由は慣れ親しんだピーナッツ県に近いから。 この頃、夜な夜な愛車のインプレッサWRXで首都高を流していました。 このクルマと10年付き合いました。 妻の次に長い付き合いです。

その後、転職を機に埼玉県の浦和へ引越します。 最寄駅は京浜東北線の北浦和。 小さい駅ながら人も多く賑わっていました。 浦和も5年ほど住み、結婚して埼玉県南西部へ引越し現在に至ります。 クルマで少し走ればすぐ東京都下に入ります。 その割に緑も豊かでなかなか良い場所です。

 

出身校について

高校は千葉県印西市にあった千葉県立印旛高等学校へ行っていました。 偏差値は低かったですが、昭和5年開校と歴史はありました。 なんでも大昔は野球が強く甲子園にも行ったことがあるとか。 しかし、今はこの高校は場所を千葉ニュータウンへ移転し、校名も千葉県立印旛明誠高等学校へ改称し、進学校へ生まれ変わりました。 場所も校名も変わっているので、もはや別物ですね。 私の中では母校は消滅したと思っています。

高校卒業後は東京工業専門学校の建築工学科へ入学。 なぜ建築へ進んだのかハッキリと思い出せません。 おそらく何となく、だと思います。 動機が適当なので、真剣に勉強せぬまま卒業。

今にして思えば、ちゃんと大学へ行っておけば良かったと思います。 ちなみにこの専門学校も既に廃校となっています。 私が卒業した学校は廃校になる運命のようです。

 

キャリアについて

専門学校卒業後、建築を出ていたこともあり建物総合管理やFMコンサル、建築保全工事などを請け負う会社に新卒で入社。 従業員約1,300名、売上600億円程度の会社でした。今にして思えば決して悪くない会社でしたが、新卒研修が終わり建物保全工事をする部署に配属されてすぐ辞めてしまいました。 将来への展望もなく、まさに若気の至り。

そして、その後、真っ当な職に就かず、渋谷の路上でキャッチやテレアポなどの怪しい仕事を経て、某印刷会社の営業になります。

その印刷会社は従業員600名、売上150億円程度の中小企業でしたが、某大手スーパー(今はもう無い)のグループ企業で当時は安定していました。 足掛け7年ほど営業経験を積み退職。

短期間、トラックの配車マンを経験し、某文房具メーカーの仕事に就きます。 ただし、文房具メーカーと言いつつも、私が入社したのはパーティションやOAフロア、そして店舗什器などを扱うグループ企業でした。 しかも所属は別の小さな会社で、そこからの派遣という体です。

最初はオフィスのパーティションとOAフロアの施工管理、その後、店舗什器の納品、施工管理を担当し、さらに顧客が全国区の某家電量販店だったこともあり出張三昧な暮らしとなってしまいました。 月の半分は自宅にいないという暮らしを数年続け、派遣という弱い立場だったこともあり、そして30歳を過ぎてしまった自分を振り返り、転職を決意。

読めば分かりますが、ここまでキャリアに一貫性はなく、建築の学校を卒業しながらも建築とは関係のない仕事を転々と10年も続けてしまいました。まさに「僕の20代は進むべき道が定まらず迷いに満ちた失われた10年だった。貴重な時間を無為に過ごし、仕事への姿勢も中途半端な男だった」です。ちなみにこの台詞は様々な自己啓発本を書かれている経営コンサルタントの水谷弘隆氏が、著書である「33歳からの勉強のルール」で自身のことについて触れた言葉になります。

さて、私はというと文房具メーカーの仕事を辞めたあと、現職の会社に入ります。 現職は製造業の会社で、そこで自社施設の建物・設備管理、工事管理、そして不動産の管理といったファシリティマネジメント全般に携わっています。 会社は製造業で、私の担当している職種がインハウスの建築・不動産担当という訳です。 ここで学校卒業後、とうとう建築関係に戻ってきた事になります。

そして、なんだかんだ入社して9年の月日(2017年現在)が経ち、現在に至っています。

 

保有資格について

現職の仕事に就くまで、資格はバイクの免許と車の免許しか持っていませんでした。 卒業後、無為に10年以上過ごしてきた結果です。しかし、現職に就いてから心を入れ替え、仕事に関係した資格取得に邁進するようになります。

理由は何故か…

先輩や業者の会話に全くついていけなく焦りを感じたためです。 建築関係って技術系で専門用語が多いですよね。 しかも建築・土木・設備、はては不動産まで守備範囲が広い。 新卒ならともかく、自分の年齢を考えたら焦らない方がおかしいですね。
30代も半ばになってから、若いときに頑張らなかったツケを払うことになったわけです。 そのツケは今も払い続けています。

 

以下、取得した資格類と取得年です

2009年 フォークリフト運転技能者

2009年 甲種防火管理者

2009年 危険物取扱者 乙種第4類

2010年 環境社会検定(eco検定)

2010年 消防設備士 乙種第6類

2011年 公害防止管理者 騒音・振動

2011年 特別管理産業廃棄物管理責任者

2012年 エネルギー管理員

2012年 宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)

2014年 認定ファシリティマネジャー

2014年 建築物環境衛生管理技術者(ビル管理士)

2014年 二級建築士

2015年 2級建築施工管理技士

2015年 被災建築物応急危険度判定士

2015年 技術士 一次試験(建設部門)

2016年 1級建築施工管理技士

2016年 建築・設備総合管理士

 このように、講習を受ければ誰でも取れるような資格から、そこそこ勉強しないと取れないものまで、玉石混交ではありますが、基本、建築・施設管理系、不動産関係の資格取得を推進しながら、経験を積んでいる状態です。

 

今後について

今後、一級建築士そして技術士 二次試験を目指すことになるのですが、ここら辺は超難関のため先が見えない状態ではあります。そして、仕事に関してはインハウスのFM関係に満足してはいますが、正直現職の会社では限界を感じています。 いつの間にか管理職になり、そして施設も縮小傾向にあることから、いずれはFM関係のことばかりしていられないのではないか、という予感がしているのです。

今後、何があるか分からないので、自分の武器を少しでも増やす必要があると改めて痛感する今日この頃です。 やはり一級建築士や技術士といった肩書きは最低限欲しいところです。