第二次世界大戦(太平洋戦争が中心)の年表を、戦争が始まる前後から纏めている。
ちまちま作っていたのだが、この年表の置き場所が無く、とりあえずブログ上で保管しておく。なぜこんな年表を作っていたかと言うと、何故だったかな…笑 もう思い出せない。
以下、年表の説明。
◆マークは日本に関係する主な動き
◇マークは世界の主な動き
国名表記はカタカナ表記と漢字一文字での表記が混在している。ちなみに漢字一文字での表記による国名は下記の通り。
米…アメリカ
露…ロシア
英…イギリス
独…ドイツ
伊…イタリア
蘭…オランダ
豪…オーストラリア
印…インド
仏…フランス
【CONTENTS】
【第二次世界大戦 年表】
1920年(大正9年)
◆03〜05 尼港(にこう)事件
ニコラエフスク(尼港)でロシアの赤軍パルチザンにより、日本軍守備隊十四師団歩兵第二連隊第三大隊と、日本人居留民約700人が虐殺される.同時に住民総人口の半分6,000人も虐殺される.
◆ワシントン海軍軍縮会議(五・五・三の比率)
戦艦・空母の比率として米・英の5に対し日本は3.
1928年(昭和3年)
◇05.20 ドイツ国会選挙でナチスが12議席獲得
◆06.04 張作霖爆殺事件
1929年(昭和4年)
◆06.02 田中義一内閣総辞職→浜口雄幸内閣発足
◇10.24 世界恐慌
ニューヨーク株式市場が大暴落.
1930年(昭和5年)
◆01.21〜04.22 ロンドン海軍軍縮会議
アメリカ、イギリスが日本の軍事力を弱めようと画策.補助艦の保有率を米英10に対し日本は7.
◇05.20 ドイツ国会選挙でナチスが107議席獲得
◆11.14 浜口雄幸首相狙撃され、重症
1931年(昭和6年)
◆06.02 浜口雄幸内閣総辞職
◆06.14 若槻礼次郎内閣発足
◆09.18 満州事変勃発
日本軍5ヶ月で全満州占領
◆11.10 愛新覚羅溥儀、日本の特務機関により天津脱出
◆12.11 若槻礼次郎内閣総辞職
◆12.14 犬養毅内閣発足
1932年(昭和7年)
◆01.28 第一次上海事変勃発
蒋介石が上海停戦協定を破り上海侵攻.国際共同租界周辺で起きた日華両軍の衝突.
◆02.29 国際連盟のリットン調査団入京
◆03.01 満州国建国宣言
アメリカ、イギリスは中国に利権を欲していたが、その利権を得られなくなり、ビルマ援蒋ルートにより蒋介石の国民党軍に軍需物資の支援を開始.
◆03.09 溥儀、満州国執政に就任
◇03.13 ドイツ大統領選挙、ヒンデンブルグ1位、ヒトラー2位
◆03.18 国防婦人会が大阪で発足
◇04.10 ドイツ大統領選挙、ヒンデンブルグとの決選選挙でヒトラーが敗れる.
◆05.05 日中間で停戦協定の調印
◆05.15 五・一五事件
帝国海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害.
◆05.15 犬養毅内閣総辞職
◆05.26 斉藤実内閣発足
◇07.31 ドイツ国会選挙でナチスが第一党230議席獲得
1933年(昭和8年)
◇01.30 ヒトラー、ドイツ首相に就任
◆02.24 国際連盟総会
リットン報告書を承認、満州国を否定.
◆02.27 日本政府、国際連盟脱退を通告
◇03.04 ルーズベルト、アメリカ大統領に就任
◇03.05 ドイツ国会選挙でナチスが288議席獲得
◆05.07 日本の関東軍、万里の長城を越え華北へ侵攻
◆05.31 塘沽停戦協定成立
◇07.14 ドイツで新党結成が禁止
ナチスがドイツ唯一の政党となる.
◇10.24 ドイツ、国際連盟を脱退
1934年(昭和9年)
◆03.01 満州国帝政実施
◆07.03 斉藤実内閣総辞職
◆07.08 岡田啓介内閣発足
◇08.19 ドイツ大統領死去
ヒトラー首相、大統領を兼務.
1935年(昭和10年)
◆06.10 梅津・何応欽協定成立
河北省に対する日本の要求を中国側が承認.
◇03.16 ドイツ、ベルサイユ条約を破棄、再軍備を宣言
◇09.15 ユダヤ人弾圧を定めたドイツニュルンベルグ法公布
◇10.03 エチオピア戦争
イタリア軍、エチオピアに侵攻.
1936年(昭和11年)
◆02.26 二・二六事件
陸軍青年将校らが軍・政府要人を襲撃.
◆02.28 岡田啓介内閣総辞職
◇03.07 ドイツ軍、ラインラントに進駐
◆03.09 広田弘毅内閣発足
◇07.17 スペイン内戦始まる
◆11.25 日独防共協定調印
◆12.12 西安事件
蒋介石が西安で張学良軍に監禁される.
1937年(昭和12年)
◆01.23 広田弘毅内閣総辞職
◆02.02 林銑十郎内閣発足
◇04.26 ドイツ空軍、スペインのゲルニカを空爆
◆05.31 林銑十郎内閣総辞職
◆06.04 第一次近衛文磨内閣発足
◆07.07 廬溝橋事件
北平(北京)郊外の廬溝橋で、夜間演習中の日本軍に10数発の発砲(後年、毛沢東率いる八路軍の画策による発砲と判明)、日本軍直ちに蒋介石率いる国民党軍に反撃し武力衝突に発展.
◆07.11 近衛文麿内閣、二個師団増派を決定
◆07.20 盧溝橋付近で両軍再戦
◆07.28 日本軍、北京/天津で総攻撃開始
◆07.29 通州事件
日本人居留民230人虐殺される.
◆08.09 上海海軍陸戦隊中隊長大山勇夫中尉が30以上の銃弾を受け死亡
◆08.12 国民党軍が停戦協定を破り、国際共同租界の日本租界を包囲
◆08.13 第二次上海事変
更に日本は二個師団を派兵.ここで日本軍は大反撃を開始し、日中全面戦争(支那事変)に発展.
◆08.15 中国、対日抗戦総動員令発令
◆08.24 国民精神総動員実施要綱が決定
◆09.23 第二次国共作成立
国民党と共産党による抗日統一戦線の結成.
◇11.06 日独防共協定にイタリアが参加
◇12.11 イタリア、国際連盟を脱退
◆12.13 日本軍、南京を占領(南京大虐殺?)
1938年(昭和13年)
◆01.16 中国国民政府に対して和平交渉の打ち切りを通告(第一次近衛声明)
◇02.04 ヒトラー、ドイツ国防軍を掌握
◇03.13 ドイツ、オーストリアを併合
◆04.01 国家総動員法公布
◆07.11 張鼓峰事件
日ソ両軍が張鼓峰で武力衝突.
◇09.30 英仏独伊4ヶ国デミュンヘン協定調印
ドイツ、チェコスロバキアのズデーテン地方を併合.
◆12.20 汪兆銘、重慶を脱出し仏印のハノイに到着
◆12.30 汪兆銘、対日和平声明を発表
1939年(昭和14年)
◆01.04 第一次近衛文磨内総辞職
◆01.05 平沼騏一郎内閣発足
◇03.15 ドイツ軍、チェコ進入→チェコスロバキア解体
◇03.28 フランコ軍マドリッド入城(スペイン内戦終結)
◇04.07 イタリア、アルバニアを占領・併合
◆05.14 ノモンハン事件
満州と蒙古の国境で、日本の関東軍とソ連・蒙古軍が衝突.日本はソ連軍の機動化攻撃に大敗.
◆06.16 国民精神総動員委員会、ネオンの全廃、長髪、パーマの禁止などを決定.
◇08.23 独ソ不可侵条約調印
◇08.24 英仏、対ポーランド相互援助条約に調印
◆08.28 平沼騏一郎内閣総辞職
◆08.30 阿部信行内閣発足
山本五十六中将、連合艦隊司令長官に就任.
◆09.01 初の興亜奉公日
ネオンの消灯、飲食店休業等.以後、毎月1日実施.
◇09.01 第二次世界大戦勃発
ドイツ軍、ポーランドに侵攻.
◇09.03 イギリスとフランス、ドイツに宣戦布告
◇09.17 ソ連軍、東部ポーランドに侵攻開始
◇09.27 ワルシャワ陥落
◇09.28 独ソ友好条約(ポーランド分割協定)調印
◇10.01 ポーランド軍降伏
1940年(昭和15年)
◆01.14 阿部信行内閣総辞職
◆01.16 米内光政内閣発足
◆03.30 汪兆銘、南京に新中国政府(中央政府)樹立
◇04.09 ドイツ軍、ノルウェーを攻撃、デンマーク占領
◆04.24 米・みそ・マッチなど10品目に切符制導入
◇05.10 ドイツ軍、西ヨーロッパで総攻撃開始
◇05.10 チャーチル、イギリス首相に就任
◇05.13 オランダ女王・政府、イギリスへ亡命
◇05.15 オランダ軍降伏
◇05.27 イギリス軍、北仏ダンケルクから撤退開始
◇05.28 ベルギー国王降伏、政府はイギリスへ亡命
◇06.10 ノルウェー降伏
◇06.10 イタリア、英仏に宣戦布告
◇06.14 ドイツ軍、パリ無血入城
◇06.22 フランス降伏
◇07.02 フランス政府、ヴィシーに移転
◆07.16 米内光政内閣総辞職
◆07.22 第二次近衛文磨内閣発足
◇08.08 ドイツ軍、イギリス本土爆撃開始
◇09.13 イタリア軍、エジプトヘ侵入
◆09.23 日本軍、北部仏印進駐
ドイツに降伏したフランスの植民地のビシー政権許可のうえ、蒋介石への物資補給ルートの遮断および資源獲得のため、ベトナム北部へ進駐.これを受けてアメリカ、イギリスはより多大に蒋介石に援助を行うようになる.
◆09.27 日独伊三国軍事同盟 ベルリンで調印
日独防共協定を引き継いだものだが、この同盟によって日英、日米関係が悪化.
1941年(昭和16年)
◆01.08 東条英機陸相「戦陣訓」を示達
◆01.21 松岡外相、蘭印/仏印も大東亜共栄圏と演説
◇02.28 イギリス海軍、シンガポール海峡の機雷封鎖を発表
◇02.15 ロンメル将軍、独北アフリカ方面軍司令官に就任、ドイツ軍、北アフリカ戦線に参戦
◇03.11 アメリカ、連合国に向けた武器貸与法に署名
◆04.01 小学校を「国民学校」に改称
◆04.06 大都市で米穀配給通帳制、外食券制実施
◇04.06 ドイツ軍、ユーゴスラビア、ギリシャに侵攻
◆04.12 日米関係修復のための「日米諒解案」成立
◆04.13 日ソ中立条約、モスクワで調印
◆04.16 ハル米国務長官との間で日米交渉が正式に決定
◇06.22 ドイツ軍、ソ連に侵攻(独ソ戦勃発)
◆07.02 関東軍特種演習(関特演)発動
◆07.02 御前会議、南進で対英米戦と北方で対ソ戦準備の「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」を決定
◇07.12 英ソ間で相互援助協定調印
◆07.16 第二次近衛文磨内閣総辞職
◆07.18 第三次近衛文磨内閣発足
◆07.23 南部仏印進駐に対する日・仏間の細目協定成立
◆07.25 アメリカ、在米日本資産を凍結
◇07.26 アメリカ、極東陸軍創設
マッカーサーが総司令官に就任
◆07.28 日本軍、南部仏印進駐
◆08.01 アメリカ、対日石油輸出を全面禁止
◇08.14 太平洋憲章(米英共同宣言)発表
◆08.28 近衛首相、ルーズベルト米大統領に首脳会談の開催を提案(09.03 大統領拒否)
◆09.06 御前会議、対米外交期限を定め実質開戦を決定
◆09.29 山本五十六連合艦隊司令長官、永野修身軍司令部長に長期戦は困難と具申
◇09.15 ドイツ軍、レニングラード(ペテルブルグ)包囲
◇09.19 ドイツ軍、キエフ占領
◇10.02 ドイツ軍、モスクワ総攻撃
◇10.16 ソ連政府、モスクワからクイビシェフに移転
◆10.16 第三次近衛文磨内閣総辞職
◆10.18 東条英機内閣発足
◆11.05 御前会議、「帝国国策遂行要領」を決定
大本営、連合艦隊に対米英蘭作戦準備を発令.
◆11.18 野村大使ら、ハル米国務長官に日本軍の南部仏印からの撤退と米国の資産凍結解除を提案
◆11.18 機動部隊、択捉島へ向け佐伯湾を出港
◆11.22 機動部隊、択捉島単冠湾(ひとかっぷわん)集結
◆11.26 機動部隊、ハワイ真珠湾へ向け出港
◆11.26 アメリカ「ハル・ノート」提示
アメリカ国務長官のコーデル・ハルが日本政府に通告してきた文書で、シナ・仏印からの無条件撤兵や日独伊三国軍事同盟の破棄を主張している.これにより日本は開戦を決意.
◆12.01 御前会議、対米英蘭開戦を決定
◆12.02 山本連合艦隊司令長官、機動部隊に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」と開戦日を発信
◆12.04 日本の第二五軍先遣兵団(侘美支隊)、マレーに向け海南島出港
◇12.05 ソ連軍反攻開始、モスクワのドイツ軍を撃退
◇12.08 ヒトラー、モスクワ攻撃中止を指令
◆12.08 日本の侘美支隊、マレー半島コタバルに上陸開始
◆12.08 日本の機動部隊、真珠湾奇襲攻撃を開始、同日シンガポール、香港、グアムへの攻撃開始.
日本海軍の航空部隊353機が真珠湾を攻撃、アリゾナ、オクラホマ、カリフォルニア、ウェスト・バージニアの戦艦4隻を撃沈.
◆12.08 野村大使・来栖特使、ハル米国務長官に最後通達を手交
◆12.08 米・英、日本に宣戦布告
◆12.10 日本軍、グァム島ギルバート諸島のマキン島・タワラ島を占領
◆12.10 マレー沖海戦
イギリス東洋艦隊の主力戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」および「レパルス」を撃沈.
◇12.11 独伊、アメリカに宣戦布告
◇12.12 ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、対米宣戦布告
◆12.13 日本軍、九竜半島を占領
◆12.16 戦艦「大和」竣工
◇12.19 ヒトラー、独陸軍最高司令官に就任
◆12.20 日本軍、ミンダナオ島ダバオを占領
◆12.22 日本の第一四軍主力、フィリピンルソン島リンガエン湾に上陸
◆12.23 日本の海軍陸戦隊、ウェーク島占領
◇12.23 ワシントンでルーズベルト米大統領、チャーチル英首相によるアルカディア戦争指導会議開催
◆12.25 日本の第二三軍、香港占領
香港のイギリス軍降伏.
1942年(昭和17年)
◇01.01 日独との単独不講和などを定めた連合国26カ国共同宣言調印
◆01.02 日本の第一四軍、マニラ占領
◆01.04 日本の海軍航空部隊、ニューブリテン島ラバウルへの攻撃を開始
◇01.05 ソ連軍、全戦線にわたってドイツ軍に反撃開始
◆01.11 日本の海軍陸戦隊、蘭印のセレベス島メナドに落下傘降下
◆01.11 日本の第五師団、クアラルンプールを無血占領
◆01.12 ボルネオ/タラカン島のオランダ軍降伏
◆01.18 日独伊軍事協定、ベルリンで調印
日本と独伊の作戦境界線を東経70度に設定.
◇01.20 ヴァンゼー会議でナチス指導者、ヨーロッパのユダヤ人約1100万人の全滅政策を決定
3月末からアウシュビッツ収容場等へのユダヤ人大量移送が始まる.
◆01.22 大本営、南方軍/連合艦隊にビルマ攻略発令
◆01.23 日本軍、ニューブリテン島のラバウルを占領
◆01.24 日本の海軍陸戦隊、セレベス島ケンダリーを占領
◆01.24 第1次バターン半島総攻撃開始→失敗
◆01.31 日本の第二五軍、マレー半島ジョホールバルを占領
◆02.01 みそ・しょうゆに切符配給制実施
◆02.01 アメリカの機動部隊、マーシャル諸島で反攻を開始
◆02.02 愛国婦人会、国防婦人会などの婦人団体が統合され「大日本婦人会」が発足
◆02.03 日本軍、蘭印のアンボン島を占領
◆02.04 日本の海軍航空部隊、米英蘭艦隊とジャワ沖海戦
◇02.06 米英合同参謀本部が設置、第1回会合開催
◆02.14 日本陸軍落下傘部隊、蘭印パレンバンに降下
落下傘降下部隊344名がスマトラ島に降下、連合軍を撃破して精油所、飛行場などを占領.
◆02.15 日本の第二五軍、シンガポール占領
山下奉文司令官、イギリスのパーシバル中将と会談、降伏を確認
◆02.17 大本営、シンガポールを昭南島に改称と発表
◆02.19 日本の第一六軍、バリ島占領
◆02.19〜20 バリ島沖海戦
◆02.27〜28 スラバヤ沖海戦
第五艦隊などはジャワ島攻略部隊を護衛していて、連合軍の迎撃を受ける.
◆02.28〜03.01 バタビア沖海戦
スラバヤ沖海戦で残存した連合軍艦隊と日本艦隊の戦闘で、ジャワ方面の連合軍艦隊は壊滅.
◆03.01 日本の第一六軍、蘭印のジャワ島に上陸
◆03.04 アメリカの機動部隊艦載機40機、南鳥島を攻撃
◆03.05 日本の第二師団、首都バタビアを占領
◆03.06 海軍省、真珠湾で戦死した「九軍神」を発表
◆03.08 日本の第一五軍、ビルマのラングーン占領.日本軍、東部ニューギニアのラエ、サラモア上陸
◆03.09 日本の第一六軍、蘭印のバンドン占領
ジャワの蘭印軍降伏
◆03.12 マッカーサー米比軍司令官、コレヒドール島を脱出
◆03.12 日本の近衛師団、北部スマトラを占領
◇03.23〜26 ドイツ空軍、マルタ島を攻略開始
◆03.24 日本軍、コレヒドール島要塞の爆撃開始
◇03.27 米参謀本部、北仏上陸計画を作成
◇04.02 アメリカ西海岸の日系人15万人の内陸移住開始
◆04.03 第2次バターン半島総攻撃開始
◆04.05 日本の機動部隊、インド洋に進出しコロンボを空襲
◆04.05〜09 セイロン島沖海戦
インド洋で行われた海戦で、イギリス東洋艦隊は、インド洋での作戦行動を断念、アフリカ東岸のマダガスカル島まで後退.
◇04.08~17 チャーチル・ホプキンス会談
米側が提案した43年春の北仏上陸計画に英川合意.
◆04.09 バターン半島の米比軍降伏
◆04.10 日本の第一四軍(川口支隊)、フィリピン、セブ島に上陸
◆04.18 ドゥリットル空襲
米軍B-25爆撃機による東京、名古屋など日本本土初空襲
◆05.01 日本の第一八師団、ビルマのマンダレーを占領
◆05.03 日本海軍陸戦隊、ソロモン諸島のツラギを占領
◇05.05 イギリス軍、マダガスカル島に上陸
◆05.05 日本の第四師団、フィリピンのコレヒドール島を占領
ウェーンライト司令官無条件降伏、全米比軍に投降を命じる.
◆05.05〜08 珊瑚礁海海戦
海軍とアメリカ・イギリス・オーストラリア連合軍の海戦で、史上初の空母機動部隊同士の戦闘.
空母「レキシントン」沈没、「ヨークタウン」大破、軽空母「翔鶴」中破で、日本軍はポートモレスビー攻略作戦を断念
◆05.10 ミンダナオ島のアメリカ、フィリピン軍、日本の第一四軍に降伏
◇05.12 ドイツ軍、対ソ連攻撃開始
コーカサスの油田地帯を目指して侵攻開始
◆05.18 大本営、南太平洋での米豪遮断作戦を発令
◆05.22 加藤建夫中佐、ビルマで戦死「空の軍神」に.
◇05.26 英ソ相互援助条約調印
◇05.27 ドイツ軍、北アフリカで攻勢開始
◆05.27 第一機動部隊、広島湾を出発(ミッドウェー作戦開始)
◇05.30 イギリス空軍、1,000機の航空機を投入しドイツ西部のケルンを空襲
◆05.31 海軍特殊潜航艇、シドニー港に特攻実施
◆06.05〜06 ミッドウェー海戦
空母「赤城」「加賀」「蒼龍」が撃沈され、唯一残った「飛龍」は「ヨークタウン」を航行不能にしたが、結局、大破炎上、海軍は壊滅的な打撃を受け、ここから日本は敗北を繰り返すこととなる.
◆06.08 日本陸軍北海支隊、アッツ島占領
◆06.08 日本海軍陸戦隊、キスカ島占領
◇06.11 米ソ相互援助条約調印
◇06.18〜26 米英戦争指導会議
チャーチルが北仏上陸に代わる北アフリカ上陸作戦を主張.
◇06.25 北アフリカのドイツ軍、エジプトに侵入
◇06.28 ドイツ軍、対ソ夏期攻勢開始
◇06.30 北アフリカのドイツ軍、エル・アラメイン(アレキサンドリア西方約100キロ)に到達.
英軍に阻まれ進撃中止(第1次エル・アラメイン戦)
◇07.01 ドイツ軍、クリミア半島のセバストポリを占領
◆07.05 タイとビルマを結ぶ泰緬連接鉄道の建設開始
◆07.06 海軍飛行場設営隊、ガタルカナル島に上陸
◆07.11 大本営、南太平洋進攻作戦を中止
◆07.15 辻政信中佐、独断で第一七軍にポートモレスビー攻略を命令
◆07.16 日本の海軍、ガダルカナル島に飛行場設営開始
◆07.24 アメリカ潜水艦、択捉島を砲撃
◆07.29 日本の南海支隊、東部ニューギニアのココダを占領し、ポートモレスビーへの陸路攻略開始
◆08.07 米第1海兵師団、ガタルカナル島に上陸(米軍の反撃)
◆08.09 第1次ソロモン海戦
ガダルカナル島対岸のサボ島の海戦。重巡「ヴィンセンス」「アストリア」「クインシー」などを沈没させるなど、日本軍健闘.
◇08.12〜15 モスクワでハリマン、チャーチル、スターリンによる米英ソ3国会談
◇08.13 アメリカ、マンハッタン計画(原爆製造)開始
◆08.18 日本の一木支隊、ガタルカナル島タイボ岬に上陸
◆08.21 一木支隊、ガタルカナル島の飛行場奪回攻撃に失敗し全滅
◇08.23 ドイツ軍、スターリングランド(ボルゴグラード)攻撃を開始
◆08.24〜25 第2次ソロモン海戦
東部ソロモンの海戦で、空母「龍驤」、駆逐艦「睦月」、輸送船「金龍丸」が沈没し、日本軍のガダルカナル増援は失敗.
◇08.25 ドイツ軍、スターリングラードを包囲
◆08.25 日本の海軍陸戦隊、ニューギニアのラビ東方に上陸
◆08.31 日本の川口支隊主力、ガタルカナル島に上陸
◆09.09 日本の海軍艦載機、米オレゴン州に焼夷弾を投下
◆09.12〜13 川口支隊、ガタルカナル島の米軍に総攻撃
◇09.13 ドイツ軍、スターリングラード市街に突入
スターリングラード攻防戦始まる.
◆09.16 日本の南海支隊、ポートモレスビー北東約50kmのイオリバイワ占領
◆09.26 南海支隊、ブナに向けて撤退開始
◇09.27 ソ連、ドゴール仏亡命政権(自由フランス)承認
◇10.02 アメリカ、ドゴール政権を承認
◆10.09 日本の第二師団主力、ガタルカナル島に上陸
◆10.12 サボ島沖夜戦
レーダー装備のアメリカ艦隊に敗北
◆10.13 戦艦「金剛」「榛名」ガタルカナル島ルンガ飛行場を砲撃
◇10.23 イギリス軍、北アフリカで反攻開始
エル・アラメインでドイツ軍を撃退(第2次エル・アラメイン戦)
◆10.24〜25 日本の第二師団、ガタルカナル島の米軍に総攻撃開始
◆10.26〜27 南太平洋海戦
◆10.28 米英中ソ、重慶で東亜作戦会議を開催
◆10.30 日本の北千島要塞歩兵隊、アッツ島に上陸
◇11.03 北アフリカのドイツ軍撤退開始
◇11.08 米英連合軍、北アフリカに上陸開始
◇11.11 ドイツ軍、フランスの非占領地域進駐開始
◆11.12〜14 第3次ソロモン海戦
日本軍は戦艦「比叡」「霧島」を失い、周辺の制海権はアメリカ軍に渡った。ガダルカナル島は、通称「餓島」状態となる.
◆11.14 ガダルカナル増援部隊第三八師団の輸送船団、ソロモン海で11隻中6隻が爆沈
◆11.15 日本の第三八師団、ガタルカナル島に上陸
◆11.16 アメリカ第1軍団、ソロモン諸島ブナ南東に上陸
◇11.17 ツーロン軍港占領
同港在伯仲のフランス艦艇自没
◇11.19 ソ連軍、スターリングラードで大反撃開始
◇11.23 ソ連軍、スターリングラードのドイツ軍を包囲
ヒトラー、スターリングラード死守を厳命
◆11.24 日本の連合艦隊、潜水艦によるガダルカナル島食糧輸送を開始
◆11.30 ルンガ沖海戦
ガダルカナル島への食糧輸送中の駆逐艦8隻、アメリカ艦隊と交戦→輸送失敗.
◆12.08 日本軍、東部ニューギニアのバサブア守備隊全滅
◇12.12 スターリングラードの独軍救援作戦開始→失敗
◆12.31 大本営ガダルカナル島撤退を決定
1943年(昭和18年)
◆01.02 日本軍、東部ニューギニアのブナ守備隊、続いてギルワ守備隊全滅
◇01.10 ソ連軍、 スターリングラードの独軍救援作戦開始→失敗
◇01.14〜25 ルーズベルト、チャーチルによるカサブランカ会談開催
◇01.23 イギリス軍、 リビアのトリポリ占領
◇01.23 ソ連軍、スターリングラードのドイツ軍に降伏勧告→ヒトラー、降伏禁止を厳命
◆01.29〜30 レンネル島沖海戦
◇01.31 スターリングラードのドイツ軍司令官降伏
◇02.02 スターリングラードの全ドイツ軍降伏
◆02.02 日本軍、ガタルカナル島から撤退開始
◆02.02〜07 イサベル島沖海戦
◆02.08 日本軍、ガダルカナル島から撤退完了
◇02.08 ソ連軍、クルクス奪還
◆02.08 日本の第一八軍、ブナ支隊に東部ニューギニアのラエ・サラモア方面への後退命令
◆02.09 大本営、ガダルカナル撤退を「転進」と発表
◆02.14 英インド軍、北部ビルマに進入し攻撃開始
◇02.16 ソ連軍、ハリコフ奪還
◆03.02〜03 ビスマルク海海戦
◆03.02 朝鮮半島に徴兵制敷かれる
◆03.03 ダンピールの悲劇
ニューギニア増援の日本の第五一師団輸送船団全滅.3,300人戦死.
◇03.14 ドイツ武装親衛隊、ハリコフを再占領
◆03.14 日本の第七飛行団、アキャブ方面前期航空撃滅戦
◆03.27 アッツ島沖海戦
アリューシャン列島アッツ島沖で輸送任務についていた海軍巡洋部隊は迎撃され、輸送を断念.
◆04.07 日本の連合艦隊、航空兵力を集中しガダルカナル沖の米艦を空爆する「イ号作戦」を実施.
◆04.07〜16 フロリダ沖海戦
◆04.12 日本の海軍機、ポートモレスビー飛行場を攻撃
◆04.14 日本の海軍機、ニューギニアのミルン湾を攻撃
◆04.18 連合艦隊司令官、山本五十六戦死(死後元帥に昇進)
◇04.19 ワルシャワのゲットー(ユダヤ人居住区)で武装蜂起→05.15までに親衛隊によって制圧
◆04.21 古賀峯一大将、連合艦隊司令長官に就任
◇05.07 イギリス軍、チュニジアのチェニスを占領
◆05.09 アメリカの潜水艦、北海道幌別村を砲撃
◆05.12 アメリカ軍11,000人、アッツ島に上陸
◇05.12 北アフリカのドイツ軍降伏
◇05.13 北アフリカのイタリア軍降伏
北アフリカの戦闘終結
◆05.20 大本営、西部アリューシャン列島の放棄決定
◆05.27 潜水艦によるキスカ島撤収作戦開始
◆05.29 日本軍のアッツ島守備隊2,500名玉砕
◆05.31 御前会議「大東亜政略指導大綱」決定
マレー、蘭印を日本領土に編入
◆06.01 食料増産のため、東京昭和通りの植樹帯を農地に改造
◆06.05 山本五十六の国葬
◆06.30 連合軍、ソロモン諸島レンドバ島とニューギニアのナッソウ湾上陸(カートホイール作戦)
◇07.05 ドイツ軍、クルクス方面でソ連軍に攻撃開始
◆07.05 アメリカ軍、ニュージョージア島ムンダ北方に上陸
◆07.05〜06 クラ湾海戦
◇07.10 連合軍、シシリー島に上陸
◆07.11 アメリカの爆撃機B25、9機、北千島の幌筵島を空襲
◇07.12 ソ連軍反撃開始
クルクス郊外で史上最大規模の戦車戦が展開、ドイツ軍敗北
◆07.12 コロンバンカラ島沖海戦
日本の第二水雷戦隊、ソロモン諸島のコロンバンガラ島沖でアメリカ軍と会戦、司令部壊滅.
◇07.17 ドイツ軍、シシリー島を撤退
◇07.25 イタリアのムッソリーニ逮捕、後任首相にバドリオ元帥
◆07.25 アメリカ機動部隊、ウェーキ島を空襲
◆07.29 キスカ撤退作戦
キスカ島の日本軍守備隊5,200名撤退に成功.
◆08.01 日本占領下のビルマ独立宣言、米英に宣戦布告
◆08.04 ムンダの日本軍、コロンバンガラ島へ転進
◆08.06 ベラ湾夜戦
コロンバンガラ島増援輸送隊、ベラ海で壊滅.
◆08.10 和服・背広などの非必需品約600点の製造中止
◆08.12 大本営、中部ソロモン方面からの撤退を決定
◇08.14〜24 カナダでルーズベルト 、チャーチルによる第1次ケベック会談開始
◆08.15 連合軍、中部ソロモンのベララベラ島に上陸
◆08.15 日本海軍「第三段作戦」命令、敵主力艦隊をマーシャル諸島付近で迎撃の方針
◆08.17 アメリカ軍機、ニューギニア東部のウェワク、ブーツなど四飛行場を空爆→日本軍、制空権を失う.
◆08.17 第1次ベララベラ海戦
◇08.22 ドイツ軍、ハリコフ撤退(ソ連軍再奪還)
◆09.01 アメリカの機動部隊、南鳥島へ空襲と艦砲射撃実施
◆09.04 連合軍、ニューギニアのラエ、サラモアに上陸
◆09.04 上野動物園でライオンなどの猛獣が薬殺される.
◆09.06 日本軍、サラモア、ラエから撤退
◇09.08 イタリア無条件降伏
◇09.09 ドイツ軍、イタリア中部及び北部に侵攻
◇09.10 ドイツ軍、ローマ占領
◇09.12 ドイツ特殊部隊、幽閉中のムッソリーニを救出
◇09.15 ムッソリーニ、ファシスト協和政府を樹立
◆09.15 ラエの日本軍守備隊撤退(サラワケット越え)
◆09.19 ニミッツ指揮のアメリカ軍、ギルバート諸島を攻撃
◆09.22 連合軍、 東部ニューギニアのフィンシハーヘンに上陸
◆09.23 女子の就業時間を拡大
25歳未満の女子を勤労挺身隊として動員
◆09.30 御前会議、絶対国防圏策定
◇10.01 アメリカ軍、ナポリを占拠(以後イタリア戦線は膠着状態に)
◆10.02 日本軍、コロンバンガラ島から撤退完了
◆10.06 第2次ベララベラ海戦
◆10.12 連合軍機210機、ラバウルを大規模空襲
◇10.13 イタリア、バドリオ政権、ドイツに宣戦布告
◆10.14 フィリピン共和国、日本軍政下で独立を宣言(米英への宣戦布告は拒否)
◆10.17 泰緬鉄道(タイ-ビルマ間)が完成
◇10.19〜26 モスクワで米英ソ3国外相会談
◆10.21 インド独立指導者チャンドラ・ボース、シンガポールで自由インド仮政府樹立
◆10.21 神宮外苑競技場で学徒出陣壮行会
◆10.27 アメリカ軍、ラバウルの孤立化を狙いモノ島に上陸
◆10.28 日本の連合艦隊、ニューギニア東岸の連合軍制圧と補給路遮断を目的に「ロ号作戦」発令
◆11.01 連合軍、ブーゲンビル島のタロキナに上陸
◆11.02〜13 ブーゲンビル島沖海戦
◆11.02 東京で大東亜会議開催
◆11.04 アメリカ軍、対日空襲に大型爆撃機B29使用と発表
◆11.05 ブーゲンビル島沖航空戦
ブーゲンビル島に上陸したアメリカ軍の北上を押さえるため始まった戦闘だが、日本は軽巡洋艦「川内」や100機以上の飛行機を失い、トラック基地へ引き上げることになる.
◇11.06 ソ連軍、キエフを奪還
◆11.09〜29 ギルバート沖航空戦
◆11.21 アメリカ軍、ギルバート諸島のマキン島・タラワ島に上陸
◇11.22〜26 ルーズベルト、チャーチル、蒋介石によるカイロ会談開催
◆11.24 日本軍、マキン島守備隊玉砕
◆11.24〜25 セントジョージ岬沖海戦
◆11.25 日本軍、タラワ島守備隊玉砕
マキン島守備隊と合わせ5,400人が戦死
◆11.27 病院船「ぶえのすあいれす丸」、南太平洋で米軍機の爆撃を受け沈没、174人死亡
◇11.28〜12.01 ルーズベルト、チャーチルによるテヘラン会談開催
◆12.05 日本の陸海軍機、カルカッタ空襲「竜一号作戦」、海軍、アメリカ機動部隊とマーシャル諸島沖航空戦
◆12.10 文部省、学童の縁故疎開促進を発表
◆12.15 連合軍、ニューブリテン島、マーカス岬に上陸
◆12.23 アメリカ軍機、インド方面からバンコクを初空襲
◆12.24 日本の徴兵年齢が19歳に引き下げられる.
◆12.26 アメリカ軍、ニューブリテン島西北端に上陸
◆12.27 連合軍機50機、ラバウルの日本軍基地攻撃
1944年(昭和19年)
◆01.02 連合軍、東部ニューギニアのグンビ岬に上陸
◆01.07 大本営、インパール作戦認可(開始は03.08)
北部ビルマ・インド国境地帯で行なわれた攻略戦で、戦死者3万を数え、大敗北.チャンドラ・ボースによるインド新政権樹立構想も消え、ビルマすべてを失うことになる.
◆01.11 アメリカ軍機、台湾の高雄、塩水を空襲
◇01.14 ソ連軍、レニングラード方面で攻撃開始
◇01.22 連合軍、ローマ南方のアンツィオに上陸(独軍に包囲され5月末まで釘付け)
◆01.24 大本営、大陸打通作戦(1号作戦)命令(開始は04.17)
長江沿岸と広東の間に連絡路をつくり、援蒋ルートの遮断、米軍基地攻撃などを狙った.
◇01.26 ソ連軍、レニングラードを奪還
◆01.26 東京・名古屋に初の強制疎開命令
◆01.30 アメリカ機動部隊、マーシャル諸島を攻撃→日本の第42航空戦隊壊滅
◆02.02 連合軍、マーシャル諸島クェゼリン島など三島に上陸
◆02.06 クェゼリンの日本軍守備隊玉砕
◆02.07 アメリカ軍機、トラック南東、モートロック諸島空襲
◆02.10 大本営、関東軍の南方転用を初めて命令
第一四師団はパラオ、第二九師団はグアムへ.
連合艦隊、旗艦「武蔵」など主力をトラック島から内地とパラオに移転
◆02.15 連合軍、ラバウル東方のグリーン島に上陸
◆02.17 アメリカ軍、トラック島空襲、航空機270機喪失
◆02.19 アメリカ軍、ブラウン環礁に上陸
◆02.20 連合軍機、ニューギニア東部ハンサを大空襲
◆02.23 アメリカ艦載機200機余、サイパン・テニアンなどマリアナ方面を空襲→海軍航空部隊壊滅、ブラウン等の日本軍守備隊が全滅
◆02.29 アメリカ軍、ロスネグロス島ハイン湾に上陸
◆03.04 大本営、中部太平洋方面艦隊を新設
司令長官/南雲忠一中将
◆03.05 連合軍のウィンゲート空挺兵団、北部ビルマのイラワジ河岸に降下開始
◆03.06 アメリカ軍、ニューブリテン島北岸タラセアに上陸
◆03.08 インパール作戦開始、日本の第33師団進撃開始
◆03.12 呉鎮守府、潜水艦による米潜水艦攻撃の「S作戦」実施→遭遇せず失敗
◆03.15 日本の第一五師団、第三一師団、インパールに向け進撃開始
◇03.19 ドイツ軍、ハンガリーに進駐
◆03.25 柳田元三師団長、インパール作戦中止を提言
◆03.30 アメリカ軍、パラオ島の連合艦隊を急襲
連合軍機240機、ホランジアを大空襲
◆03.31〜04.01 米機動部隊、パラオ諸島を大空襲
◆03.31 古賀峯一連合艦隊司令官、フィリピンのダバオへ退飛行中に行方不明(後に元帥に昇進)
◆04.01 6大都市の国民学校で1食0.7合の給食実施
◆04.06 日本の第三一師団、インパール北方のコヒマを占領
◆04.17 日本の支那派遣軍、大陸打通作戦(一号作戦)開始
◆04.19 イギリス艦隊、スマトラ北部コタラジャを空襲
◆04.22 アメリカ・オーストラリア軍。ニューギニアのアイタペ、ホーランジアに上陸
◆04.30 アメリカ軍、トラック島第二次空襲→海軍基地壊滅
◆05.03 豊田副武大将、連合艦隊司令官に就任
◆05.05 大本営、古賀峯一元帥の殉職を発表
◆05.06 アドミラルティー諸島の日本軍守備隊が全滅
◇05.08 ヒトラー、クリミア半島からのドイツ軍撤退を命令(~13までにルーマニアまで撤退)
◇05.09 ソ連軍、セバストポリを奪還
◇05.15 ハンガリーのユダヤ人に対するアウシュビッツ収容所への移送が始まる.
◆05.27 連合軍、ビアク島に上陸
◆05.27 特攻艇「震洋」試作第一号艇、完成
◆05.27 陸軍飛行第五戦隊、ニューギニア西部ビアク島で連合軍艦隊に陸軍初の特攻実施
◆06.01 佐藤幸徳第三一師団長、コヒマ占領維持は困難と判断し、独断で撤退を開始
◇06.04 連合軍、ローマ入城
◆06.11〜12 アメリカ軍、マリアナ諸島のサイパン・テニアン・グアムを空襲、日本軍航空部隊壊滅
◇06.11 オーバーロード作戦
連合軍、北仏ノルマンディー上陸
◇06.13 ドイツ軍、イギリスに対して報復兵器「V1」号による攻撃開始(09.08さらに強力な「V2」による攻撃を開始)
◆06.15 アメリカ軍、サイパン島に上陸
◆06.15 連合艦隊、アメリカ軍迎撃の「ア号作戦」を発動
◆06.15 アメリカの機動部隊、小笠原諸島を初空襲
◆06.16 成都から飛来したB-29が 北九州の八幡製鉄所を爆撃(B-29による日本初空襲)
◆06.19〜20 マリアナ沖海戦
日本は空母「大鳳」「翔鶴」など空母3隻、航空機395機を喪失する惨敗.多くの艦船を失い、太平洋の制海権を喪失
◇06.22 ソ連軍、戦線中央部で夏期攻勢開始
◆06.23 アメリカ軍機150機、ヤップ島を第一次空襲
◆06.24 陸海軍総長、サイパン奪回作戦の中止を上奏
◆06.28 ビアク島の日本軍守備隊玉砕
◆06.30 閣議で国民学校初等科児童の集団疎開が決定
◆06.30 長崎造船所、特攻兵器「震洋」200隻完成
◆07.02 南方軍、インパール作戦の中止を命令
◇07.03 ソ連軍、ミンスクを奪還
◆07.04 アメリカ軍、数百機で硫黄島・小笠原諸島を空襲
◆07.05 ビルマ方面軍、第一五師団にインパール作戦中止命令
◆07.07 サイパン島の日本軍守備隊4万人玉砕
6日、南雲忠一海軍中将・斎藤義次陸軍中将、自決
◆07.07 閣議、沖縄県から10万人の集団疎開を決定
◆07.18 東条英機内閣総辞職
◇07.20 ドイツでシュタウフェンベルク大佐によるヒトラー暗殺未遂事件→陸軍高官らが多数逮捕、処刑される(7月20日事件)
◆07.21 アメリカ軍、グァム島に上陸
◆07.22 小磯国昭内閣発足
◆07.24 アメリカ軍、テニアン島に上陸
◆07.25 グアム島守備隊、総攻撃実施→26日失敗
◆07.31 連合軍、ニューギニアのサンサポールに上陸
◇08.01 ワルシャワで民衆武装蜂起→10.02までに親衛隊よって制圧
◆08.02 テニアン島の日本軍守備隊玉砕
◆08.03 テニアン島の日本軍守備隊8千人玉砕
◆08.03 英印軍、北部ビルマのミートキナを攻略
◆08.04 国民総武装決定
竹槍訓練開始.学童集団疎開第1陣198人が上野駅を出発
◆08.10 アメリカ軍、サイパンとテニアンの基地使用開始
◆08.11 グアム島の日本軍守備隊1万8千人玉砕
◆08.11 B29、スマトラのパレンバン油田を初空襲
◇08.15 連合軍、南仏プロヴァンスに上陸
◆08.19 最高戦争指導会議、南方での米軍撃滅を主とする「今後採るべき戦争指導大綱」を決定
◆08.20 B29、九州北部から中国地方西部にかけ空爆
◆08.21〜10.09 米英中ソ、ダンバートン/オークスで会議、国際連合設立を討議
◆08.22 鹿児島沖で沖縄の疎開船「対馬丸」がアメリカの潜水艦により撃沈、児童ら1,345人死亡
◇08.23 ルーマニアでクーデター
◇08.25 ルーマニア、対独宣戦布告
パリ解放、連合軍パリ入城
◆08.31〜09.02 アメリカ軍、小笠原諸島を空襲
◆09.01 台湾に徴兵制、施行
◆09.04 最高戦争指導会議、日ソ中立条約存続交渉で広田弘毅の派遣を決定→18日、ソ連拒否
◆09.06日 アメリカの機動部隊、パラオ・ヤップ方面に来襲
◇09.08 ブルガリアでクーデター
◆09.08 陸相、風船爆弾の気球連隊臨時動員を指示
◆09.09 アメリカの機動部隊、ダバオなどフィリピン南部空襲
◇09.09 ドゴール首班の仏臨時政府樹立
◇09.10 ブルガリア、対独宣戦布告
◆09.10 中国雲南省拉孟の日本軍守備隊玉砕
◇09.11〜16 ルーズベルト、チャーチルによる第2次ケベック会談
◆09.14 中国雲南省騰越の日本軍守備隊玉砕
◆09.15 アメリカ軍、パラオ諸島アンガウル島に上陸、ペリリュー、モロタイ両島に上陸
◇09.18 アメリカ、イギリス、ハイドバーグ協定→原爆使用を検討
◆09.21 アメリカ軍艦載機400機、マニラ方面を空襲
◆09.29 連合艦隊司令部、横浜の慶大日吉分校に移転
◆10.01 海軍、特攻機「桜花」の第七二一部隊を編制
◆10.08 山下泰文、第14方面軍司令官、マニラ着任
◇10.09〜20 モスクワでチャーチル、スターリン会談
◆10.10 アメリカ機動部隊の艦載機1400機、南西諸島を空爆→那覇市は九割焼失など壊滅的被害
◇10.11 ソ連軍、東プロシア(ポーランド北部)のドイツ国境を突破
◆10.11 アメリカ機動部隊、ルソン島北部を空襲
◆10.12 B29、サイパンに進出→日本本土が射程内に.
◆10.12〜16 台湾沖航空戦
空襲にさらされた台湾の航空兵力は激減、連合艦隊司令部は決戦をのぞむが、海軍は終始、誇大戦果を発表し続け、以後の作戦は大きく混乱する.
◆10.16 築軍特別志願兵令交付
17歳未満の兵役志願容認
◆10.17 アメリカ軍、フィリピンのスルアン島に上陸
◆10.18 大本営「捷一号作戦」命令
◆10.18 兵役法施行規制改正交付
17歳以上を兵役に編入
◆10.19 パラオ諸島アンガウル島の日本軍守備隊玉砕
◆10.20 マッカーサー、アメリカ軍4個師団とともにレイテ島東岸に上陸
◆10.20 第一航空艦隊司令長官、大西滝治郎、神風特攻隊の編制を下命
◇10.21 連合軍、ドイツ中西部アーヘンに入城
◆10.21 陸軍、ルソン決戦捨てレイテ地上決戦に転換
◆10.23〜26 レイテ沖海戦
アメリカ軍のフィリピン上陸を予想していた日本は、戦力集中による撃滅作戦「捷一号」を発動するが、戦艦「武蔵」をはじめ、空母4隻、戦艦 3隻など29隻と航空機500機を喪失する大敗北を喫し、事実上、海軍主力は壊滅
◆10.25 B29約100機、北九州一帯を空襲
◆10.25 海軍に神風特別攻撃隊、初出撃(指揮官・関行男大尉)
◆10.29 南西方面艦隊、レイテ増援の「多号作戦」発令
◆11.01 マリアナ基地のB29、東京を初偵察、空襲警報発令
◆11.03 太平洋岸42地点からアメリカに風船爆弾を発射
◆11.05 アメリカ機動部隊、マニラ空襲→重巡「那智」沈没
◇11.08 ルーズベルト、アメリカ大統領に当選(米史上初の4選)
◆11.08 小磯首相「レイテこそ天王山」と談話
同9日、山下泰文、レイテ作戦即時中止を具申
◆11.12 陸軍初の特攻隊、万朶隊、レイテ湾に出撃
◆11.19 世界最大の空母「信濃」竣工→29日沈没
◆11.20 アメリカ艦隊停泊地へ特攻艇「回天」による初の攻撃
◆11.23 ペリリュー島の日本軍守備隊玉砕
◆11.24 マリアナ諸島から出撃したB-29による東京初空襲(以後空襲が激化)
◆11.26 義号作戦
台湾高砂族出身らの薫部隊、レイテ島の飛行場に強行着陸
◇12.05 モスクワでハンガリー臨時政府樹立
◆12.10 アメリカ軍、レイテ島オルモックを占領
◆12.13 B29、80機、名古屋を初の本格的空襲
◆12.15 アメリカ軍、ルソン南方のミンドロ島に無血上陸
◇12.16 バルジの戦い
ドイツ軍、アルデンヌ(ベルギー北東)で米英軍に対する最後の大反撃開始
◆12.19 第14方面軍、第35軍にレイテ地上作戦の中止と、「永久抗戦、自戦自活」を命令
◇12.21 ドイツ軍、バストーニュを包囲
◇12.25 ハンガリー対独宣戦布告
◇12.27 連合軍、バストーニュのドイツ軍包囲を突破し、翌年1月末までにドイツ軍を撃退
◆12.27 陸海軍両総長、レイテ決戦の断念を上奏
◆12.30 世界最大の特殊潜水艦「伊号400型」完成
1945年(昭和20年)
◆01.03 英印軍、ビルマ西岸のアキャブを奪回
◆01.09 連合軍、ルソン島のリンガエンに上陸
陸軍初の海上挺身隊78人、比で全滅
◆01.12 第二次玄作戦
回天特攻隊、太平洋各所で停泊中のアメリカ艦船を攻撃
◆01.14 B29/73機、名古屋空襲、伊勢神宮も被弾
◇01.17 ソ連軍、ワルシャワ占領
◆01.18 最高戦争指導会議、本土決戦即応態勢の強化など「今後採るべき戦争指導大綱」決定
◆01.20 大本営、240万の本土防衛軍編制決定
◆01.21 比/ラウレル大統領、バギオ脱出し日本に亡命
◆01.22 アメリカ艦載機900機、南西諸島を空爆
◆01.24 イギリス機120機、スマトラのパレンバンを攻撃
◇01.27 ソ連軍、アウシュビッツ収容所解放
◆02.03 連合軍、マニラ市街に突入
◇02.04〜11 ヤルタ会談開催
ルーズベルト、チャーチル、スターリンによる会談→11日、ソ連対日参戦など決定
◆02.05 B29迎撃ロケット「秋水」配備予定の部隊新設
◆02.12 イギリス軍と日本の第15軍、ビルマでイラワジ会戦開始
◆02.16 アメリカの艦載機1,200機、関東・東海地方各地を攻撃、初めて宣伝ビラを散布.
◆02.16 アメリカ艦隊、硫黄島に対して猛攻撃を開始
◆02.16 アメリカ軍、比/コレヒドール島に空挺降下と上陸
◆02.19 アメリカ軍、硫黄島に上陸
◆02.21 特攻隊32機、硫黄島周辺でアメリカ空母を撃沈
◆02.23 アメリカ軍、硫黄島の摺鉢山を占領
◇02.24 ソ連軍、オーストリアに進撃開始
◆03.01 アメリカの艦載機、沖縄一帯に延べ1,218機来襲
◆03.03 アメリカ軍、マニラを完全占領
◆03.05 沖縄で学童などの県外疎開を打ち切る.
◇03.07 アメリカ軍、レマゲンからライン河を渡河
◆03.08 木戸内大臣、重光葵外相と早期終戦を協議
◆03.09 第三八軍、仏印武力処理の「明号作戦」発令
◆03.10 東京大空襲
B29/334機、前夜から無差別に東京を大空襲
◆03.12 アメリカ軍、硫黄島に本土爆撃機用の滑走路を完成
◆03.13〜14 大阪大空襲
◆03.15 閣議で大都市の疎開強化決定
◆03.17 硫黄島の日本軍守備隊玉砕
◆03.17 海軍、特攻機「桜花」を兵器に採用
◆03.17 B29/309機、神戸市を焼夷弾で無差別爆撃
◇03.19 ヒトラー、ドイツ全土の焦土作戦を命令
◆03.20 大本営、沖縄に重点おく「天号作戦」を発令
◆03.23 大本営、松代地下大本営の新設工事を命令
◆03.26 アメリカ軍、沖縄の座間味島上陸→172人が自決
◆03.26 アメリカ軍、フィリピン中部のセブ島に上陸
◆03.27 ビルマで国軍蜂起
抗日武装闘争全土へ拡大
◆03.27 アメリカ軍、関門海峡に機雷を投下し封鎖を開始
◆03.27 アメリカ軍、渡嘉敷島に上陸→住民350人が自決
◆03.28 ビルマ方面軍、イラワジ会戦中止し撤退命令
◆04.01 アメリカ軍、沖縄本島に上陸開始
◆04.01 アメリカの潜水艦、台湾海峡で輸送船「阿波丸」を撃沈
◆04.03 マッカーサー、米太平洋陸軍総司令官になる.
◆04.03 連合艦隊、第二艦隊の沖縄突入作戦を決定
◆04.05 小磯国昭内閣総辞職
◆04.05 ソ連、日ソ中立条約を延長せずと通告
◆04.06 日本軍、沖縄方面に第1次航空総攻撃開始(菊水一号作戦)
◆04.07 鈴木貫太郎内閣発足
◆04.07 沖縄水上特攻部隊(第二艦隊)崩壊、戦艦「大和」沈没.
アメリカ軍の沖縄上陸を受け、戦艦大和は沖縄に向かうが、九州南西海面でアメリカ空母艦載機386機と交戦、沈没した.
◆04.11 ビルマ戦線の第三三軍、各陣地突破され退却.
◇04.12 ルーズベルト大統領死去
トルーマン副大統領、大統領に就任
◇04.13 ソ連軍、ウィーン占領
◆04.13 B29、東京を無差別爆撃
明治神宮など焼失
◆04.13 閣議、「国民義勇軍」組織を決定
◆04.18〜05.11 B29、連日九州/中国/四国の軍事施設を爆撃
◆04.21 沖縄の伊江島守備隊主力が全滅
◆04.22 イギリス軍、ビルマのトングーを突破→翌日、ビルマ方面軍/ビルマ政府、ラングーンを脱出
◇04.22 ベルリン攻防戦
ソ連軍、ベルリン市街に突入.
◇04.25 米ソ両軍がエルベ河畔トルゴウで出会う(エルベの誓い)
◇04.27 ムッソリーニ、パルチザンにより逮捕
◇04.28 ムッソリーニ処刑
◇04.30 ヒトラー、ベルリンの地下壕で自殺→後継者にデーニッツ独海軍指令長官を指名.
◆04.30 連合軍、ボルネオのタラカン島に上陸開始
◇05.02 ソ連軍、ベルリンを占領
◇05.02 イタリアのドイツ軍降伏
◆05.02 連合軍、ミンダナオ島のダバオを攻略、英印軍、ラングーンを占領
◇05.08 ドイツ、連合軍に無条件降伏
◆05.10 アメリカ統合幕僚会議、九州上陸の「オリンピック作戦」と関東上陸の「コロネット作戦」承認
◆05.10 B29/379機、岩国、九州各地を焼夷弾爆撃
◆05.14 政府首脳、ソ連を仲介とした終戦工作の方針を決定
◆05.14 名古屋大空襲
◆05.22 第三二軍、首里を捨て沖縄南部へ後退を決定.
◆05.24 特攻隊の義烈空挺隊120人、米占領下の沖縄読谷/嘉手納両飛行場に強行着陸し全滅
◆05.25 B29/470機、東京大空襲、宮城も炎上
◆05.28 海軍、「回天」などを水中特攻兵器に採用
◆05.29 小沢冶三郎中将、連合艦隊司令官に就任
◆05.29 横浜大空襲(市街地の半分が消失)
◆05.31 マッカーサー、本土上陸作戦の準備を命令
◇06.01 アメリカ、スチムソン委員会、アメリカ大統領に日本への原爆投下を勧告
◇06.05 米英仏ソ4カ国、ドイツの分割占領などを定めたベルリン協定に調印
◆06.05 B29/350機、神戸来襲
◆06.06 アメリカ軍、ルソン島北部のバンバンを占領
◆06.07 B29/350機、大阪来襲
◆06.08 御前会議、本土決戦の方針の確認
◆06.09 木戸内大臣、ソ連仲介の収拾案を天皇に内奏
◆06.10 連合軍、ボルネオのブルネイに上陸
◆06.18 沖縄の「ひめゆり部隊」、摩文仁の洞窟で自決
◆06.19 福岡大空襲
◆06.20 連合軍、ボルネオのミリに上陸
◆06.22 御前会議、終戦工作促進の確認
◆06.23 第32軍の牛島満司令官・長勇参謀長ら、摩文仁で自決→沖縄守備隊の組織的抵抗終わる.
◆06.23 義勇兵士法公布
15~60歳の男性、17~40歳の女性で国民義勇戦闘隊を編成
◆06.26 B29、前夜から北海道に初めて来襲
◆06.30 花岡事件
秋田県花岡鉱山で強制連行された中国人労働者が蜂起.
◆07.01 連合軍、ボルネオのバリックパパンに上陸
◇07.05 イギリス総選挙、チャーチルの保守党がアトリー勢の労働党に惨敗
◆07.10 仙台大空襲
◆07.10 アメリカ艦載機延べ1,200機、関東全域に来襲
◆07.14 アメリカ機動部隊、北海道/東北各地を空襲
◇07.16 アメリカ、ニューメキシコ州での原爆実験に成功
◇07.17〜08.02 トルーマン、チャーチル、スターリンによるポツダム会談開催
◆07.17 終戦工作のため近衛元首相の派遣、ソ連政府に申し入れ
◆07.18 ソ連政府、近衛特使の受け入れ拒否
◆07.25 トルーマン大統領、日本への原爆投下を指令
◆07.25 イギリス軍、マレーのプーケット島に上陸
◆07.26 米・英・中によるポツダム宣言発表
◇07.27 イギリス、アトリー労働党内閣発足
政権交代にともない、ポツダム会談 の英代表もチャーチルからアトリーに交代
◆07.28 鈴木首相、ポツダム宣言黙殺と戦争継続表明
◆07.30 ソ連に条件付和平の斡旋を依頼
◆08.03 アメリカ軍、日本の港湾を機雷で完全封鎖と発表
◆08.05 連合軍、太平洋の作戦区域を変更
アメリカ軍は日本本土侵攻、英・豪軍は南方奪回にあたる.
◆08.06 広島に原子爆弾投下
◆08.07 豊川海軍工廠、B‐29の大空襲を受け壊滅
◆08.08 ソ連、日本に宣戦布告、ソ連軍、満州に侵攻
◆08.09 長崎に原子爆弾投下
◆08.10 未明、天皇の「聖断」により終戦決定
国体護持を条件にポツダム宣言受諾を連合国へ申し入れ
◆08.12 日本の降伏条件に対する連合国の回答電文が到着
電文の字句をめぐり、軍部・政府でポツダム宣言授諾可否が紛糾
◆08.14 御前会議でポツダム宣言受諾(無条件降伏)を最終決定
◆08.15 正午、玉音放送
日本無条件降伏
◆08.15 鈴木貫太郎内閣総辞職
◇08.15 仏ヴィシー政府首班・ペタン元帥に死刑判決(ドゴールにより終身刑に減刑)
◆08.16 マッカーサー、天皇・政府・大本営に対して戦闘停止を命令
◆08.16 ソ連軍、樺太の古屯と幌見峠を占領
◆08.17 東久邇宮稔彦内閣発足
◇08.17 スカルノ、インドネシア共和国、独立宣言
◆08.18 皇帝/溥儀が退位し「満州国」消滅
◆08.20 河辺虎四郎参謀次長ら、マニラで連合軍からの降伏文書一般命令を受領
◆08.23 北千島の日ソ両軍、停戦協定が成立
◆08.28 GHQ(連合国務司令部)横浜に開設→後に東京に移転
◆08.30 連合国最高司令官マッカーサー元帥、厚木飛行場に到着
◆09.02 重光外相と梅津参謀総長、アメリカの戦艦「ミズーリ」艦上で降伏文書調印式→大東亜戦争終結
◇09.02 ベトナム民主共和国、独立宣言
◆09.02 マッカーサー元帥、朝鮮半島の分割占領を発表
◆09.11 GHQ、東条英機元首相ら39名に逮捕命令(戦犯指名・逮捕)
◆09.26 復員第1陣1,700名がメレヨン島から別府へ帰港
◆09.27 天皇、GHQのマッカーサー元帥を初訪問
◇09.29 英蘭軍とインドネシア人民軍との戦闘が始まる.
◆10.05 東久邇宮稔彦内閣総辞職
◆10.09 幣原喜重郎内閣発足
◇10.24 国連憲章をソ連批准、国際連合(国連)の発足
◇11.20 ニュルンベルク国際軍事裁判(ナチスに対する戦犯裁判)開廷
◆11.30 陸軍省廃止、第1復員局に改稔、海軍省廃止、第2復員局に改編
◆12.07 マニラ軍事裁判で山下奉文大将に死刑判決
1946年(昭和21年)
◆01.01 天皇、自身の神格化を否定(人間宣言)
◆01.04 GHQ、軍国主義者ほかの公職追放を指令
◇02.10 オランダ、インドネシアの条件付独立を承認
◆02.19 天皇、神奈川県を巡幸(被災地巡幸の始まり)
◆02.23 山下奉文大将の絞首刑執行
◇03.05 チャーチル「鉄のカーテン」演説を行う(東西冷戦の始まり)
◆04.22 幣原喜重郎内閣総辞職
◆05.03 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷
◆05.22 第一次吉田茂内閣発足
◇07.01 米軍、ビキニ環礁で原爆実験
◇07.04 フィリピン共和国、独立宣言
◇07.12 中国で全面的な国共内戦が始まる.
◇10.01 ニュルンベルク裁判閉廷→12人に死刑判決
◇10.16 ニュルンベルク裁判での死刑囚へ死刑執行
以上、1920年(大正9年)〜1946年(昭和21年)までの年表となる。
色々なサイトから情報を集めているので、コピペした部分などは同じ書き方だったりする。
何かに役立つかはまったくもって不明。
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